4月。新しい環境へ一歩踏み出した方もいらっしゃるのではないでしょうか。私もその一人です…(^^
さあ、伊勢原 大山へ。お天気にも恵まれた3月31日。
写真は、大山阿夫利神社下社からの景色で、ここから山頂まで約2時間かけて、想像以上の険しい山道を一歩一歩踏みしめて、なんとか無事に行ってくることができました。
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時間は遡って、比々多神社から大山までの、1週間のことをまず書いていきます。
今回語り掛けてきている主(男神と感じています)と一緒に比々多へ向かった日は、とっても穏やかで優しい空気に包まれた日でした。(前回ブログ)
が、その後の数日は、過去の些細な出来事を思い出して、腹が立ったり、悲しく思ったり、今の自分の状況を憂いだり、嘆いたり。落差がはげしくて、自分でもびっくり。でもその渦に巻き込まれることのないように気を付けて、目線を一歩引いて見渡してみるものの、瞑想しても、すぐに眠くなってしまって、状況をなかなか把握することが出来ずにいました。
そのままの、いつものやり方では、その状況を打破できなそうであったので、次に考えたこと。
それは、視点を変えて、このような体験を私がすることで、主が訴えてきているメッセージがあるかもしれない、それは何か…と考えました。
すると、ああ、これは主そのものが体験している状況や感情なのかもしれない… そうやって身動きが取れなくなっているんだ… だから訴えかけてきたんだ…と自然と行きつくことが出来ました。
同時に、気づいたことが2つ。辛くなったり悲しくて、穴ぼこに落ちてしまいそうになると助けてきてくれる光線がノストラム(Genesisヒーリングで取り扱う光線の一つ)であること。もうひとつ、ソルジャーという言葉の繰り返しのメッセージ。その2点から、自分の意に反した行動や戦いをしなくてはならなくなってしまった… そのことで身動きが取れなくなってしまった…という背景を、読み取ることが出来ました。
自分が体験したこととして、象徴的だったのは、満開になった桜をみても、その美しさを直視できなくなってしまったこと。
それは、美しいものを素直に美しいと表現できなくなってしまった…という感覚でした。
それは、神に背いた、愛する人に背いた罪悪感からなのでしょうか。。
やっと、ここまで気づくことが出来たら、不思議に、あれだけ眠くなってしまって出来なくなってしまった瞑想が出来るようになり、ようやくGenesisヒーリングをすることが出来ました。この時点で大山へ向かう2日前(-_-;)
ワーク開始。巨大な体の全体が燃え上がり、闘っている姿が浮かびました。まるで、ナウシカに出てくる巨神兵みたい…
まず、ノストラムから。そのあとオリジナルの3光線。するとその姿から炎が消え、体から流血している姿。今でも血を流し続けているんだ…とはっとしました。大切なものに背いたという感情。瞳は真っ赤だけど、純粋さを感じました。
ワークが進んでいくと、膨れ上がった体が元にもどり、許してほしいという感情。それに答えるように、女神は、ずっとあなたを許している、まっすぐ前をみて、こっちをみて…と響きました。その女神は、比々多に迎えに行ったワカヒルメなのか。女神のエネルギーである、白と金と銀の世界が広がり、これが『丹』なのか、彼の全身を包み込みました。
しばらくして、最後に現れた彼の姿は、、、、なんと、、、白鳥、、、でした。
白鳥の姿というのは、ヤマトトタケルを連想させ、何を現しているのでしょうね。
このワークを終えたことで、周囲の状況もすっきりとし、大山へ挑むことができました。
そして、その男神の本来の姿であろう白鳥を目にしてから、なぜ大山へ向かったか、、そこから気づいたことについてはまだまだ、先があり、まだ途中なので、後に、次のブログには記したいと思います。
今年の3月の上旬は、ここ2年間に見たり、感じたり、それを良しとしていた認識がガラガラと崩れる出来事が起こっていました。その間にもずっと、この男神の存在があり、何か得るものがあるはず、何かあるはず、と繰り返し繰り返し自身に言い聞かせてきました。そして、今回書いた流れを見出し、再びすっきりと、天候にもめぐまれた大山へ行くことが出来ました。
もちろん翌日は、体はどこが痛いのかも分からないような筋肉痛に襲われ、バキバキ(>_<)になったのですが、気分はすっきりしていました。
さあ、これから4月、気分も新たに始めるわ~、
が!しかし、また、良しとしていたことが、ガラガラと崩れる出来事が再び起こったのです。
周囲がそれぞれの立場で主張しているのではなくて、今回はその原因となっている、根幹が揺らいでいくようでした。
何が本当で、なにが嘘なのか。
ぐるぐると、、また問いただされる時が始まりました。
しかも、自分でアクションをしたのではなく、なぜかそれを見せられるような…
今回のGenesisへ繋がった時のように、今までの視点や やり方ではない、何かもっと別のもの
別の器を用意するように促されているのではないか、
それは形や大きさを変えるのか、壊して作り直すのか、
分からないけど、変容を促されているのだと思いました。
......つづく。
~a drop of love to you ailius