惜しみなく与えること

梅雨空の今日は、朝からずっと鳥の声が響いています。街が静か。ピチューピチューピチューッ。なんの鳥なのでしょう。雨音に混じる鳥の声、風にゆれるかすかな木々の音に耳を傾けていると、ここ、地球の主役は人間じゃなかったのだと…感じました。

 6月に誕生日を迎えて、思ったのは、予定よりも長生きしてしまった…という感覚。がーっと凝縮して経験し、生きたせいか、子供たちもある程度大きくなり、自分の時間が増えてきた分、これから何をしていこう…という自由への恐怖心が現れました。高校生くらいまでは無条件に、自由を謳歌していたのに、今はそれを怖いとさえ思うって…(-.-) 痛みに慣れてきた時間を取り戻すべく内観と自己ヒーリングにここ数年費やしてきて、たどり着いた、本当の自由を目の前に、なんということでしょうか。。

でもそんな恐れが、ふと数日前、軽くなりました。曲がり角を曲がるときの遠心力の衝撃がおさまったように、目の前に見えてきたまっすぐな広い道。自分のスピードを取り戻したような。

 長年わたしは、(愛してほしい)と要求する側にフォーカスしてきました。そこから見えたのはインナーチャイルドの叫びが大部分で、その叫びの感情を味わい尽くし、受け止め続けてきました。

しかし、先日の歌舞伎役者さんご夫婦の報道をみていたら、(愛すること)の素晴らしさに気づきました。

        ー愛を惜しみなく与えることー

惜しみなく・・というところがポイントなのですが、愛することができるというのは、この上なく幸せなことだと感じたのです。

家族としていつも触れられる近さの人へでも、離れ離れの遠距離でも、社会でタブー視される形でも、この世を去った人へでも…愛することが出来る強さは突き抜けて美しいとさえ感じたのでした。

これからの残された人生は、(愛すること)へのフォーカスになっていくのかもしれないと、今、書きながら思いました。

先日、目を閉じると(愛しています!)と心が叫び、ぽろぽろ涙がこぼれるほどの崇高な何かとつながった瞬間がありました。あれは何だったのかな。

アポロン・アルテミスで縦横軸のシステムが整ったことで、今までもそこに居続けてくれていた何かに届いたのかもしれません。

それが何であるかが分からないことが、まだ残された課題ですね。。

そこに届く方法は、目の前のひとつひとつを丁寧にやっていく、それしかないのだと思います。

 

いつも以上にまとまっていないかな…?でも、ここらへんで(^^

ありがとうございます。

 

~a drop of love to you           serena